ジレンマとは日本語で「板挟み」のことです。ここでは、有名なジレンマと人事現場で起こるジレンマを中心に解説します。
目次
1.ジレンマ(dilemma)とは?
ジレンマ(dilemma)とは、相反する二つの選択肢からどちらか一方を選ばなければいけず、かつそのどちらを選んでも不利益を被りかねない状態のこと。たとえばAを助ければBが救えず、Bを助ければAが救えないといった具合です。「板挟み」を意味する言葉で、「ジレンマに陥る」などといった使い方をします。
論理学の分野では、ジレンマは三段論法の意味も持つのです。
三段論法とは、たとえば「家にいれば強盗に襲われる。家から出れば通り魔に襲われる」「それでも家にいるか、外に出るかしか道はない」「ゆえに助かる道はない」という風に結論を導き出すことで、日本では両刀論法ともいいます。
2.有名な「ジレンマ」について
哲学や倫理学、数学、思考学などの学問分野では、高名な学者たちが提唱した有名なジレンマのたとえ話がいくつかあります。
たとえば「囚人のジレンマ」「ヤマアラシのジレンマ」「イノベーションのジレンマ」です。
これらはそれぞれ社会科学や人間関係、企業経営の理論のたとえ話として使われる場合が多く、ビジネスにおける考え方の基礎となったりさまざまなシーンで用いられたりします。どのような内容なのか、ひとつずつ解説しましょう。
3.囚人のジレンマ
囚人のジレンマはミクロ経済学におけるゲーム理論の一つです。2人の容疑者が共犯として逮捕され、別々の取り調べ室に連れて行かれるという状況から始まります。
警察は2人に、「それぞれ黙秘するか自白するか選べ。もし君が自白して、共犯者が黙秘すれば、君の懲役を共犯者にかぶせ、君は釈放される。2人とも黙秘すれば本来の懲役より短くする。もし2人とも自白すれば、本来の懲役そのままになる」と提案するのです。
2人の容疑者にとって、互いに自白して互いに本来の懲役を受けるよりは、互いに黙秘して懲役を短くしてもらったが得でしょう。
しかし2人の容疑者がそれぞれ自分の利益のみを追求する限り、「お互いに黙秘」という選択ではなく「お互いに自白」という選択肢を取ってしまいます。これが囚人のジレンマです。
短期的か長期的か
特定のルールにおいて裏切りと協調のどちらが有益かを考える思考実験である囚人のジレンマは、ゲームの回数で最善の選択が異なります。
ゲームを一回しか行わない場合、前述したように容疑者がお互い自白するという「裏切り」を選択します。それに対し複数回「繰り返しのゲーム」を行った場合の行動は、二人がゲームを繰り返す回数について知っているか否かで異なるのです。
これは、「短期的な思考で選択肢を選ぶか」「長期的な思考で選択肢を選ぶか」は、環境によって異なることを表します。
短期的には「裏切り」が有益に
ゲームを1度だけ行う場合、人間の合理的な判断は自白(=「裏切り」)になると考えられます。ゲームが一回しか行われない場合、不十分な情報しか与えられない環境下で選択をしなければならない状況にあるからです。
そこでは相手の思考を読む、その結果協力したほうが得になるといった駆け引きが困難になります。結果、「相手の選択がどのようになっても、裏切りを選べば自分にとって有益になる」という選択をすると考えられるのです。
長期的には「協調」にメリットがある
一方、何度も繰り返すゲームの場合、やがて両者が協調に向かうケースが見られます。お互い「裏切り」を選ぶより、「協調」したほうがお互いにとって利益になるという考えが生まれるからです。
このような環境下で有効とされる戦略に「しっぺ返し戦略」があります。「しっぺ返し戦略」とは、今回のゲームにおける相手の選択を次回の自分の選択にする、つまり裏切られたら次は自分が裏切り、協調してくれたら次回は自分が協調するというものです。
これにより、お互い協調しやすい状況が生まれると考えられます。
4.ヤマアラシのジレンマ
ヤマアラシのジレンマとは、以下のとおりです。
寒空にいる群れのヤマアラシがお互いに身を寄せ合って体を温めようとするものの、身に針があるためお互いを傷つけあってしまいます。
ヤマアラシは何度も近づいたり離れたりを繰り返し、そのうちやっとお互いが傷つけあわず、温かい適切な距離感を見つけるのです。
哲学者による寓話が由来
ヤマアラシのジレンマは、ドイツの哲学者として知られるショーペンハウエルが描いた寓話がもとになっています。フロイトがこの寓話を使って人間関係の距離への葛藤を「ヤマアラシのジレンマ」と名付けました。
なお実際のヤマアラシは、トゲのために近付けないことはありません。頭部を寄せ合って体温を保ったり睡眠を取ったりなどしています。
人間関係の難しさを表現している
「一個人としての自立」と「社会の中で相手と共存する一体感」、2つの欲求への葛藤がヤマアラシのジレンマです。日常の人間関係では、相手と親しくなるほど相手への期待や要求が増えて、お互いに苦しくなってしまいがちでしょう。
ヤマアラシのジレンマは、距離が近づくほどに苦しくなるけれど離れすぎていると今度は寂しい、という人間関係の難しさを表す言葉として用いられているのです。
5.イノベーションのジレンマ
イノベーションのジレンマとは、大手企業がベンチャー企業に敗北する理由を説明した企業経営の理論のこと。企業の規模が大きかったり創業からの期間が長かったりする大手企業は、イノベーションを起こすのが難しくなるという内容です。
顧客の声がイノベーションを遅らせる
企業が成長して事業基盤が固まってくると、それまでよりも顧客や投資家の意見に耳を傾け、製品やサービスの品質向上に投資し始めます。
一見、よいサイクルが生まれているように見えるでしょう。実は顧客の声ばかりを反映させるとイノベーションに遅れてしまい、結果として新興の企業に敗北するなどといった失敗を招くと考えられているのです。
イノベーションのジレンマが起こる理由は3つあります。
- 破壊的な技術を見過ごす
- 技術の向上ばかりに注目する
- 新規市場に投資ができない
①破壊的な技術を見過ごす
イノベーションを起こすような破壊的な技術は、製品の品質低下を招きやすいと考えられています。これまでの既存技術で利益を得ているような企業は、そうした破壊的技術に関心を向けにくい傾向にあるのです。
主な事例として挙げられるのは、フィルムカメラとデジタルカメラ、ガラケーとスマートフォン、レンタルDVDと動画配信サービスなど。
「既存の顧客を残す」「カニバリズムによって既存の事業が破壊される」といった可能性を回避するため、イノベーションの波に乗り遅れた企業は少なくないとされています。
②技術の向上ばかりに注目する
技術の向上が市場の需要(顧客ニーズ)を上回るケースもあります。既存の技術で顧客がすでに満足しているにもかかわらず、大手企業がさらなる高品質化、技術革新ばかりを繰り返してしまう場合があります。
このように需要と供給のずれが生じてしまうと、企業がせっかく投資をして新しく技術を開発しても、顧客はそこに関心を抱けず、企業は利益を得られなくなってしまうのです。
さらに性能が低くとも時代にマッチした商品に魅力を感じやすい顧客もいるため、新興企業に市場を奪うチャンスを与えてしまう状況にもなってしまいます。
③新規市場に投資ができない
新しい技術や、製品の登場で生まれたばかりの市場は規模が小さいもの。すでに基盤を持っており成長している企業は、そうした市場に魅力を感じられず、なかなか投資できません。
これは小規模な市場や、低価格で利益率が低い破壊的技術では大企業の成長ニーズを解決できないからです。
また既存事業の専門性が高まると新事業が行いにくくなるといった側面もあります。結果、投資のタイミングをつかめず参入のチャンスを逃してしまうのです。
大企業ほど陥りやすいジレンマである
「破壊的な技術」「技術力向上と市場ニーズのミスマッチ」「新市場に対するアプローチの遅れ」について解説しました。このような事態が起こりやすいのは、すでに利益の基盤を築いている大企業が大半です。
最先端の技術やビジネスモデルを守り続けるだけでは新規性を失ってしまい、「イノベーションのジレンマ」を引き起こしてしまいます。
最近ではこれらを踏まえて、新しい発想や変化する方法を模索したり、ベンチャー企業との共存戦略などを打ち出したりする大手企業も増えてきているようです。
6.人事にもジレンマはある
相反する二つの事象の板挟みによって発生するさまざまなジレンマについて、紹介しました。企業による人材育成もこのようなジレンマをはらんでいます。企業人事の担当者は、どのような問題が起こるかを考えて対応しなければなりません。
- 新人育成に時間をかけられない
- 過度な教育が自主性を損なう可能性
①新人育成に時間をかけられない
「自発的に行動できる新人を育てなければいけない」という環境下で、「新人を早く育てたい」「しかし教育にかける時間がない」のが、人材育成にまつわるジレンマでしょう。
新人が業務を覚え、自分で考えて行動できる人材になってくれれば教育係の仕事も楽になると分かっています。しかし教育係にも目の前の業務があるため、時間を割くのが難しいという状況に陥ってしまう、これはどこの職場でも起こり得るジレンマです。
②過度な教育が自主性を損なう可能性
これを解決する考え方として「過度な教育・育成をやめる」という方法があります。新人を育成するには丁寧に時間をかけることが必要とされがちですが、教育が行き届きすぎると、社員の自主性が損なわれるケースもあるのです。
教え過ぎず「自分で考えさせる」という指導方法を採用すると、時間が節約できますし新人は自分で考える能力を身に付けられるでしょう。
ただしあまりにも効率重視や専門性が高まると、新人や教育担当者の中で「余計な仕事はしない」という意識が広がる可能性もあります。