「ステップバック」という考え方が注目されたのは2007年、米「ウォール・ストリート・ジャーナル」に掲載された「How to Get Ahead By Going Backward」(いかにして後退しながら前進するか)という記事がきっかけです。あえて退くことで前進するキャリア形成とはどのような考え方を指すのでしょうか。
1.ステップバックとは?
ステップバックとは最終的な目標への達成や自己実現のために一旦後退すること。
予定調和的なキャリアパスからあえて降りて横道に反れたり、一見遠回りに見える進路を選択したりすることが結果として豊かなキャリアにつながる、このような思想をステップバックと呼びます。
ビジネス成功者の経歴を見ると、仕事での失敗や大病による長期離脱などによって挫折や逆境を経験し、遠回りを経て現在の地位を得たというケースも少なくありません。
ステップバックの意味
まずは「ステップバック」という言葉の意味から確認していきましょう。
ステップの意味
ステップ(step)には足取りや段階、踏み出すといった意味があります。物事の進行上の段階を表すときに用いられます。
バックの意味
バック(back)には背中や背後、後援や後退といった意味があります。状態を後ろへ戻すときに用いられる言葉です。
ステップアップとは?
ステップバックの対義語は、聞き慣れた言葉であるステップアップです。キャリアアップに向けてキャリアパスを順調に進んでいくことを人事におけるステップアップといいます。
キャリア形成といえば、昇給や昇格といったステップアップを目指すのが一般的です。しかしステップバックはあえて、マイナスとも捉えられる進路変更をすることで自身の成長や目標達成を目指します。
2.ステップバックのやり方、方法
どのような形で「ステップバック」が行われるのでしょうか。
配置転換
配置転換の場合、会社側から将来的なキャリア形成の意図を伝えて行うケースと、本人がキャリアパスとしてステップバックを希望するケースがあります。
どちらの場合も、社内の別部署に異動といった形で配置転換が行われます。これまでの業務から離れ、経験のない業務に携わり、それによって今まで知らなかった知識や経験を積むのです。
キャリアの後退はネガティブに捉えられがちでしょう。場合によっては所得が減ったり知名度に影響したりする場合もあるからです。ステップバックに対しては、明確な目標を定め、一時的なマイナス要素を受け入れられる準備があるかを考える必要があります。
職種の転換
部署異動ではなく職種そのものを転換する場合もあります。
前述した米「ウォール・ストリート・ジャーナル」に掲載された「How to Get Ahead By Going Backward」(いかにして後退しながら前進するか)という記事では、下記のような内容が書かれています。
それは、若くして一流企業の会計係に就いた男性が単調で退屈なキャリアパスに疑問を抱き、ポストを捨てて海外拠点への異動を願い出たキャリア形成です。
その後大手企業のCFO(最高財務責任者)に任命されますが、再び自ら志して異なる事業部門へ飛び込みます。二度のステップバックを経て、最終的にCEO(最高経営責任者)にまで上り詰めました。
これまで得ることができなかった新しい知識や経験を積むことがステップバックのメリットです。またさまざまな経験を通して自分の新たな適性や可能性に気付くこともあるかもしれません。
転職
働き方の多様化が進む中、ひとつの会社での終身雇用を目指すのは過去の話になりつつあります。これまで属していた企業を離れ、転職によって別の業界や職種に飛び込むこともステップバックのひとつです。
自分自身のキャリアパスを明確にすると、仕事に対してより積極的になります。さらに自分の目標に合わせて転職するため、モチベーションを保ったまま仕事に取り組めるのです。
また責任のある立場を離れることで、育児や介護と両立させたりプライベートに時間を割いたりすることもできます。ワークライフワークバランスが取りやすくなることもステップバックのメリットといえるのです。
3.ステップバックをする際の準備、注意点
ステップバックの際、事前に何をしておけばよいのでしょう。注意点とともに解説します。
企業側
まずは企業側、人事部の立場からステップバックの準備や注意点を確認していきましょう。
制度構築
企業側はステップバックに対応した制度を整備しておかなくてはなりません。当該従業員がステップバックではなく後退、もしくは退職となってしまうリスクがあるからです。
現代はどの企業でも、出産や育児、介護や大病などでキャリア後退を選択せざるを得ないケースが考えられます。多彩な働き方やライフワークバランスに対応できる制度を整備しておけば、優秀な人材の流出も防げるでしょう。
綿密な制度の構築によって他社との差別化が図られ、それが採用力アップにつながる可能性も高いです。配属された場所で昇進を目指すだけの硬直した働き方を改善するためにも、ステップバックから復帰しやすい制度を準備するとよいでしょう。
風土の醸成
ステップバック、後退、と聞くとどうしてもネガティブなイメージが浮かびやすいですす。何ができなくなってしまうのか、どういった場面で不利になるのかといったマイナス面にばかり意識が集まります。
そこで、ステップバックという選択肢を選ぶことで何ができるのか、どういったプラスの側面があるのかという事実を理解してもらう風土を整えます。
柔軟な働き方を採用している企業は、多くの求職者にとって非常に魅力的。また今いる人材の流出防止効果も期待できます。
ステップバックは決してネガティブな選択ではない、また珍しい選択肢ではないことを企業全体の風土として醸成させておきましょう。
ロールモデル
ステップバックによってキャリアアップを叶えた人材をロールモデルとするとよいでしょう。前述した男性の事例もいいですが、社内で実際にステップバックを選んだ人をモデルとするほうがより効果的です。
身近で想像しやすいのは出産を経て復帰した女性のモデルです。子どもが熱を出したのに仕事が忙しくて休めない、自分は母親失格なのではないだろうか、そんな思いで自分を責めている女性の業務の一部を、別の従業員に依頼します。
その瞬間はマイナス要素に感じるかもしれません。しかし、後にさらに大きなプロジェクトを依頼できれば本人にとって大きな自信になります。もちろん会社にとっても大きなプラスです。
キャリアパスを共有
重要なのはステップバックによるキャリアパスを共有すること。上記では女性のモデルを例に挙げましたが、育児に伴って男性が長期休暇を取得したいケースもあるでしょう。
また配置や職種の転換によってどんな経験ができるのかを共有する意味でも、社内全体をオープンにしておくことが大切です。実際にステップバックを選択した人はなぜその選択をしたのか、その結果どういった経験が得られたのかを共有しておくとよいでしょう。
貴重な人材の流出を防ぐためにも、人事は従業員に幅広い選択肢を用意しておきましょう。
従業員側
続いて従業員側の立場からステップバックの準備や注意点を確認します。
目標は明確に
ステップバックを行う本人にとって、何より重要なことは「明確な目標を持つこと」。何のためにステップバックを選択するのか、状況を変えた先で何をするのか、最終的にどこに到達したいのかを自分の中で明確にしておかなくてはなりません。
後退によって所得が減ったり知名度が下がったりすることも考えられます。イメージや目標がないままステップバックしてしまうと、キャリアアップではなく単なる後退となってしまうかもしれないのです。
それでもなぜステップバックを選択するのか、自分には何が必要で何が不足しているのかを理解しておきましょう。
貯蓄があるかどうか
ステップバックを選んだ結果、所得がマイナスになることもありますが、備えてある程度貯蓄しておけば不安を払拭できます。
新たな部署、新たな業種への挑戦の際、今までにないストレスが加わりますので、余計なストレスはできるだけ除いておきたいものです。金銭的ストレスの負荷を下げるためにもある程度貯蓄した上でステップバックするとよいでしょう。
100人いれば100通りの夢や目標、ワークスタイルがある時代です。そういった意味でもステップバックを行う目標を明確にしておくことは重要でしょう。
ステップバックする理由
感情的な理由でステップバックを選んではいけません。同じ後退とはいっても「目標に向かって進む後退」と「逃げの結果向かう後退」ではモチベーションが大きく異なります。
一時の感情的な理由から後退を選んだ結果、後悔してしまったケースも多く見られます。ステップバックする前に、感情的ではない論理的な理由があるか、確認しておくとよいでしょう。
ステップバックは、個人の目標やキャリアパスを明確にする良い機会です。それによって現在の仕事のやりがいが高まったり、モチベーション形成に役立ったりすることもあります。